民主主義活動家Đặng Xuân Diệu氏(シュワン・ディョウ・トゥ)が釈放されフランスに亡命

民主主義活動家Đặng Xuân Diệu氏(シュワン・ディョウ・トゥ)が釈放されフランスに亡命

2017年1月13日

Quyên Ngô (Loa)著 独占ウェブ 

ベトナム当局は、国家転覆罪で6年間にわたって拘束してきたブロガーと民主主義活動家を釈放して、直ちに国外追放した。

技術者であり、民主化党Tânの一員であり、「最も神聖な救世会Congregation of the Most Holy Redeemer」のメンバであるシュワン・ディョウ・トゥ氏は、木曜日の午後、VũngTàu市の刑務所K3から釈放された後、警察の厳重な警護のもと、TânSơnNhất空港まで護衛された。37歳になるシュワン・ディョウ・トゥ氏は、金曜日、パリ行きの民間機でシャルル・ド・ゴール空港に到着した。

ベトナムの北部にあるNghện州に住むディョウ氏の家族は、サイゴンの空港に護衛される前日に彼の釈放を知らされたため、一目会うために旅券の手配をすることが出来なかった。

2011年に反体制活動に対する広範囲な取り締まりが行われる中、ディョウ氏は逮捕された。彼は他の13人の若い活動家と共に有罪判決を受け、「国の転覆を計った」として、全員に対して懲役3年から13年の禁固刑が言い渡された。ディョウ氏は13年間という中でも最も重い刑を受けた。彼は刑務所での過酷な虐待に苦しみながらも、判決を受け入れず、また刑務所の制服着用を拒否して何度も断食ストライキを行った。

EUとベトナム政府間で彼の釈放の合意に至るまでに、ディョウ氏は13年間の禁固期間の内、既に6年間を刑に服していた。フランスは彼の政治的保護を申し出たEUの国である。 ベトナム人のスポークスマン、デュイ・ホアン氏はこう語った。「多くの組織や選出役職者が、ディョウ氏の自由を求めてキャンペーンを行いました。彼への虐待が明らかになった後は、何千人もの人々が、ディョウ氏が拘束されている刑務所にハガキを送りました。刑務所長は郵便物をディョウ氏に届けませんでしたが、刑務所にいる多くの人達、看守や囚人達は、ディョウ氏に対する国際的な支援の声が高まっていたことを知っていたと元受刑者が話してくれました。ベトナム政府がディョウ氏を「人道的な理由」で釈放することに同意したのは、その運動のおかげだと思っています。国民を自国から追放することは許されるべきではありませんが、ディョウ氏の試練が終わったことを喜んでいます。」

BBCは、ディョウ氏は病院で手当てを受ける必要があると報道している。2015年10月、ディョウ氏の元囚人仲間のTrươngMinh Tam氏は、ディョウ氏は殴られ、十分な食料や飲料水を与えられず、彼の排泄物の横で食べて寝ることを余儀なくされていたとロアに語った。Tam氏は、悲惨な状況から彼を救い出すよう国際社会に訴えた。

2013年、国連恣意的拘束措置活動グループ(UNWGAD)は、ベトナム政府がディョウ氏と13人の若い活動家を恣意的に拘束することは、ベトナムの法律にも国際法にも違反しているとの判決を下した。この判決は、スタンフォード大学ロー・スクールのスタンフォード大学国際法学部長であるAllen Weiner氏が提出した申立てによるもので、彼はディョウ氏の国際弁護人でもある。

Weiner氏は、ロアにこう語った。擁護力という点では、国際法は、「表現の自由、良心の自由、集会の自由の保護を訴えるには軟弱なツールのようだ」。ディョウ氏の釈放は、「ベトナム政府の抑圧力の限界を如実に表している。市民社会の運動や国際機関や人権を擁護する世界各国の政府の活動が、ベトナム市民の人権を守る上で如何に役立つかを示している」と付け加えた。

ベトナム政府は、ブロガーのĐiếuCày氏やTạPhongTần氏のような著名な反体制活動家を以前にも釈放し国外追放してきた。ベトナムで活動を続ける反体制派を政治亡命させるというやり方は、ベトナム当局が使う一つの手段であるが、反体制派の家族にとっては、更なる刑罰に値する。

シュワン・ディョウ・トゥ氏の兄弟であるĐặng Xuân Hà氏は, BBCの取材に対して、「ディョウが刑務所から釈放されたのは喜ばしいことですが、同時にとても深い悲しみもあります。70歳の母親は、息子が国外追放される前に一目会いたがっていましたが、叶いませんでした」と語った。