人権運動家ダン・スアン・デュー氏が、刑務所でひどい虐待

人権運動家ダン・スアン・デュー氏が、刑務所でひどい虐待を受けている。

2014年10月7日、べトナムの人権擁護提唱者ダン・スアン・デュー氏と共に刑務所に入れられていた元服役囚は、彼が2014年4月に服役囚の権利を主張して長期のハンガー・ストライキを始めて以来、遠く離れた独房に入れられ、外との接触をいっさい許されず、非人道的な扱いを受けていると語った。

2011年7月に逮捕されるまで、ダン・スアン・デュー氏はエンジニアだった。また、貧しい学生に教育の機会を与えたり、台風の犠牲者の援助をするなど、コミュニティのリーダーとしても活動。べトナム・リベントリスト・ニュース紙の記者も務めていた。

裁判前の2年間の拘留の後、ダン・スアン・デュー氏は、2013年1月9日、刑法79条によるところの“政府を打倒する試み”を行ったという冤罪を着せられ、ほかの14人のべトナム人活動家と共に有罪を言い渡された。求刑は、懲役13年、その後5年の自宅監禁。上訴は許されず、彼は再審を求めている。

ダン・スアン・デューは、ハノイにあるB4刑務所に収監され、後にタインホア省の第5刑務所に移動させられた。ダン・スアン・デューは無罪を主張し、“犯罪人”と書かれた刑務所のユニフォームを着ることを拒否したと報告されている。また、彼が警察に向けて書いた手紙が開封されないままであることにも不満を表明している。一度だけハノイの刑務所に訪問を許された家族、および彼と共に収監されていた元服役囚は、彼があらゆる形でひどい扱いを受けていたと語った。彼に与えられる食事と水の量は減らされ、刑務官に暴力をふるわれることもあったらしい。そのような扱いに抗議するため、2014年4月、彼は長期のハンガー・ストライキに入った。以来、彼は外の世界と連絡を絶たれており、家族の訪問も許されていない。

そのように孤立させられたため、彼がどのような虐待を受けていたかについての詳細は、彼と一緒に服役していたチューン・ミン・タムが出所した2014年10月まで明らかになることはなかった。チューン・ミン・タムによると、ダン・スアン・デューは、独房に入れられてから、動物あるいは奴隷のような扱いを受けているという。独房は6平方メートルから8平方メートルの大きさで、服役囚は時にふたりずつペアにされ、鎖に繋がれて入れられたりするとのことだ。夏の時期は刑務官がダン・スアン・デューの独房により多くの服役囚を入れたため、混み過ぎて息も出来ない状態になり、逆に冬は寒い中にひとり残されていたと、実際に目撃した元服役囚は語っている。

入手した情報によると、ダン・スアン・デューはトイレットペーパーも与えてもらえず、汚物はわざと10日間ほど独房内に放置されるため、独房内は不潔な悪臭に満ちていたらしい。彼は自らの排泄物の横で寝ることを強いられ、定期的なシャワーや歯磨きも許されなかったそうだ。

元服役仲間の証言によると、ダン・スアン・デューは、彼と仲間が受けている仕打ちは基本的人権の迫害だとし、抗議のために5、6回ハンガー・ストライキを行った。しかし、そのたびに刑務官はむしろもっとひどい虐待をもって対応したという。ダン・スアン・デューは、しばしば殴られ、ほかの服役囚の前で“半人半獣”のフリをしろなどと強要される屈辱にさらされたと元服役仲間は語っている。元服役仲間が出所する2日ほど前、ダン・スアン・デューが独房で「僕は生きたい。食べ物を食べたい。でも、僕は喉を締められている。食べる権利を返してくれ!」叫ぶのが聞こえたということだ。

フロントライン・ディフェンダーズは、外部と接触を絶たれた状態でダン・スアン・デューが受けている扱いと、彼の健康状況を憂慮している。